西面
南陽
琵琶山を間に置いて両方谷間で小川の水が流れ出している。他の村より谷間と小川が多いと言ってゴルゲとも呼んだ。今も鬱陵島で一番暖かい南側と言う意味で南陽と言う。冬に雪が降れば一番早くとける地域である。
琵琶山
南陽里村の裏に位置。岩石の柱狀節理現象で山の一方面が麺を乾かす模様または琵琶模様をしている。昔の于山国の王女豊美女が娘一人を残して死んでしまう。于海王は愛する王妃の死を悲しんで後方の山に屏風を立てて大馬島から連れて来た12侍女に毎日琵琶を演奏させて百日祭祀を執り行なったといって琵琶山と呼ぶようになったという伝説がある。
桶邱尾
浦口の前の岩が亀を似ていたと言って亀岩だと呼んで亀が村を向けて這って行くような模様を見て亀が入って行く筒のようだと言って桶邱尾と呼ぶ。桶邱尾の香木自生地は天然記念物第48号に指定されている。
- 行く道 : 道洞からバスで25分ぐらい
獅子岩
新羅王は江陵君主である異斯夫をして于山国討伐にいかせた。
新羅軍は軍船の船首に木獅子を載せていた。木獅子が火を噴いてこのけだものをして島人を皆殺しさせると言うと于山国の于海王はかぶとを脱いで新羅の異斯夫に降伏した。于山国は滅亡したが伝説は残ってあの時の木獅子が獅子岩で、于海王が脱いでおいたかぶとが今の兜峰になったという伝説が伝わる所である。特に日の入りが美しい所だ。
新羅軍は軍船の船首に木獅子を載せていた。木獅子が火を噴いてこのけだものをして島人を皆殺しさせると言うと于山国の于海王はかぶとを脱いで新羅の異斯夫に降伏した。于山国は滅亡したが伝説は残ってあの時の木獅子が獅子岩で、于海王が脱いでおいたかぶとが今の兜峰になったという伝説が伝わる所である。特に日の入りが美しい所だ。
- 行く道 : 道洞からバスで30分ぐらい
南西日の入り展望台
沙汰邱尾海岸弁に屏風のように開かれた断崖絶壁と奇岩怪石、広い水平線を眺めれば雄大壮厳さを感じることがある所である。特にこちらで眺める日の入りはあまりにも美しい。
展望台正面に男根岩が意気良く湧いていて向う側山にはこの男根岩が恥かしくて背を向けている花嫁(一名淑女岩)岩が見える。
男根岩は昔から子のいない人々が尋ねて来て男根岩を見て願いを祈れば子が生まれて、また情のない夫婦が男根岩を眺めながら愛を告白すれば夫婦の情が深くなって子孫が栄えるという伝説が伝わっている。
展望台正面に男根岩が意気良く湧いていて向う側山にはこの男根岩が恥かしくて背を向けている花嫁(一名淑女岩)岩が見える。
男根岩は昔から子のいない人々が尋ねて来て男根岩を見て願いを祈れば子が生まれて、また情のない夫婦が男根岩を眺めながら愛を告白すれば夫婦の情が深くなって子孫が栄えるという伝説が伝わっている。
- 行く道 : 南陽バス停留場から農協カボチャのあめ工場方向に徒歩で30分ぐらい
鬱陵南西洞古墳群
慶尚北道記念物 72号指定
南陽バス停で1.5㎞地点に位置。隣近に水の味が良い泉があって休んで行くのによい。この一帯は鬱陵島で古墳が一番多く密集・分布している遺跡地であり、墓は地形の制約を受けて山の傾斜面に怪石で上が偏平に積んでその上に死体を安置するドルドッノルを作った後石で封墳を作った石塚の形式である。
大きい長方形の花崗岩を使ったがドルドッノル入口全面が垂直壁になっている形態は三国時代鬱陵島古墳にだけ見られる。
大きい長方形の花崗岩を使ったがドルドッノル入口全面が垂直壁になっている形態は三国時代鬱陵島古墳にだけ見られる。
- 行く道 : 南陽バス停留場から内燃発電所方向に徒歩で30分ぐらい
南陽モンドル海辺
鬱陵島特有のモンドル海辺であり家族と一緒に楽しむのに適当な場所である。特に黒いさざれ石の上に月明りがこわれて白い波がある夏夜の風景は尋ねる人々を魅かせるに十分である。 浜辺延長1㎞、水深1~3m
- 行く道 : 道洞からバスで30分ぐらい
鶴圃
台霞より規模が小さくて黄土が多くて小黃土邱尾という。村の裏の岩山に鶴が座っている模様の岩があって鶴圃だと言う。
- 行く道 : 道洞から天府方面バスで35分ぐらい
聖霞神堂
朝鮮太宗の時、金麟雨は鬱陵島安撫使の命令を受けて鬱陵島居住民の召喚のために兵船2尺でこちら台霞洞に到着した。館内全域に対する巡察を終えて出港のために眠る中、海神が現夢して仲間の中で童男童女2人をこの島に残しておいて行きなさいと言った。
安撫使は仲間の中で童男童女2人を島に残しておいて無事に本国に帰った。何年の後再び鬱陵島安撫使の命を受けて台霞洞に到着して捜索をしたが、あの時止宿した所で童男童女が抱えこんだ形象で白骨化されていた。
安撫使は童男童女の孤魂をなぐさめて、哀悼するためにその所に祠堂を建てて祭祀を行って帰った。
その後、毎年旧暦3月1日に定期的に祭祀を執り行なって、豊漁、豊年を祈って船舶の進水があれば必ずここで祭祀をあげて海上作業の安全と事業の繁昌を祈る。
安撫使は仲間の中で童男童女2人を島に残しておいて無事に本国に帰った。何年の後再び鬱陵島安撫使の命を受けて台霞洞に到着して捜索をしたが、あの時止宿した所で童男童女が抱えこんだ形象で白骨化されていた。
安撫使は童男童女の孤魂をなぐさめて、哀悼するためにその所に祠堂を建てて祭祀を行って帰った。
その後、毎年旧暦3月1日に定期的に祭祀を執り行なって、豊漁、豊年を祈って船舶の進水があれば必ずここで祭祀をあげて海上作業の安全と事業の繁昌を祈る。
鬱陵島台霞里光緒銘刻石文
自然石をきれいにしないで陰刻したもので鬱陵島開拓の頃、功が多い人々の功徳を称えようと1890年4月五衛將を勤めた方が立てた。
- 行く道 : 聖霞神堂から徒歩で5分ぐらい
待風坎の香木自生地(天然記念物 49号)
昔の船が出入りする時船を結んでおくためにこちらに穴をくぐって船を結んだし、帆掛け船だから 航海のためには風が吹かなければならないしそれでその風を待つ所だと言って待つ字(待)を使って待風坎命名。
待風坎海岸絶壁
待風坎から見た海岸絶壁は月刊 '山'誌がお勧めした韓国10代絶景の一つで鬱陵島(台霞)燈台と共に美しい島秘境を見せてくれる。
- 行く道 : 黄土窟から徒歩で1時間10分ぐらい
台霞黄土窟
朝鮮時代にはこちらの黄土が国に上納までなったと言って国では3年に一回ずつ三陟領將をこの島に巡察をいかせだが、巡察の証拠品としてこちら黄土と香木を受けたと言う。
洞窟の中に多い量の黄土があったと言って黃土邱尾とも言う。
洞窟の中に多い量の黄土があったと言って黃土邱尾とも言う。
- 行く道 : 聖霞神堂から徒歩で10分ぐらい